捨て猫マスカルポーネ

問うとすれば、それは人の探究心だけ。旧来のブログ名を捨てて、2018年は新たな語感と共に改名。重力に負けるな。

【真面目】愛が何故この世で最強なのか?

 

 

分からない。

 

 

 

 

何故、

愛が最強で、

愛は美徳になり、

愛を求め愛を願うのか。

 

 

アルマゲトンでも、

大体のSF映画でも、

アニメでもゲームでも、

ファイナルファンタジーでも、

愛の力が最後のエネルギーになる。

 

宿敵のステータスもパラメーターもほぼMAXで、

主人公の凸凹能力では全く敵うはずがなかったのに、

何故か土壇場になって、家族愛、恋人愛、友達愛、世界愛、

地球愛、アイアイが加わると、 もはや能力値なんて境界は崩壊し最強になる。

 

ちょっとした愛のスパイスが振りかけられるだけで、

仮想敵を地球から149,600,000 kmも離れている太陽に吹っ飛ばしたり、

宇宙の彼方へと、、、、愛、君は一体どんな無限のパワーを秘めているのだい。

 

というより、そもそも、愛、君はなんなんだあい?

 

から言って分からない。

 

分からないから、

ここで一旦仮定してみる。

 

女子卓球界の国民的スターでありマザー、

福原愛選手が即ち愛だとしたら。

 

愛=福原愛

 

ここで偉大で著名なソングの歌詞を引用して考えてみる。

 

愛して〜〜るという気持ちだけで、 少し強くなれ〜る気がするよ

 

気迫溢れる愛ちゃんのプレー、そんな気もする。

 

10000年と2000年前から愛してる〜〜

 

愛ちゃんの歴史的な偉大さは時を超えて愛されている

 

愛を下さ〜〜い、おうおう

 

おっと、気持ちは分かるが少し抑えて 

 

愛されるよりも愛したいマジで

 

これは、、、 拉致か不埒な犯罪の直前

 

 

福原愛=愛という仮定

 

 

確からしい点もあるが、

一方で納得できない、いや危なそうな、

愛の解釈を誘引するような事の方が確からしいので、悲しみの却下。

 

 

 ああ

 

 

そうしてまた愛は僕をあざ笑う。

 

 

お前は愛がない

もっと商品愛を持て

クライアント愛がない

愛をもって指導にあたれ

もう、あいまいみーまいん

 

・・・

 

愛の霧中に迷い込んでしまった私は、

「愛 名言」で検索して愛について語った偉人の言葉を探す。

 

彼らにとって絶対に必要なものはお互いだけで、 お互いだけが、彼らにはまた充分であった。 彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。

夏目 漱石

 

 

先頭打者ホームランでおぴよぴよ

訳がわからない。

 

 

愛は最高の奉仕だ。みじんも、自分の満足を思ってはいけない。

太宰 治

 

 

でた、自己犠牲という名のサクリファイス。

愛する子は目に入れても痛くない、いや痛い。

 

もし本当に愛したいと願うなら、許すことを知らなければなりません。(マザー・テレサ

 

自己犠牲の拡張。

 

全ては自己責任。

 

許し拡張された現実は、

この資本主義という枠組みの中で、

至極、生き辛さを感じてしまう菩薩。

 

 

われわれを恋愛から救うのは理性よりも多忙である。(芥川龍之介

 

ミスターブラック。

或いは、メインブラック。

 

愛する――それはお互いに見つめ合うことではなく、 いっしょに同じ方向を見つめることである。サン・テグジュペリ

 

星の王子様に乾杯。

死なない長閑な愛の可能性を、

示唆して頂いたありがたいお言葉。

 

 

愛というそれが、

少なからず苦しゅうない、

方向性を指し示して頂いたようなきがした。

 

 

 

しかし。

 

 

アラジン的に言えば、

各々が持つであろう心のコンパスは、

互いに一致するいつの日もぶれない北極星は果たして存在するのであろうか。

 

いや、少なからずズレるはずだ。

いくら誓いを結んだ相手としても、

それは別個の人間。

 

北極星の色や形、波形までもが、

一致するとは考えづらい。

 

だって人間だもの。

 

 

 とはいえ、

同じような方向性を、

お互いが信じ歩んでいくのは理想だとも思う。

 

愛する、

とは一体なんなんだろうか。

 

 

 

愛して欲しい、愛したい、なぜ。

 

 

 

 

 

 

 

あ。

 

 

 

 

 

 

人は自ずから、

自分とは?何か?という、

宿命的な命題を背負っているとする。

 

 

その自分とは?という、

暗く孤独で寂しいブラックホールに、

光を照らしてくれる存在があったとしたら。

 

 

例え、100パーセントお互いがお互いをわかりあえなかったとしても。

 

 

それは、愛されることに近い気もするし、

そういう誰もが抱える孤独を慈しみ、

少しでも自分が照らしてあげたいと思えるなら。

 

それは、愛することに近くのだろうか。

 

逆に100パーセント相手に分かられてしまったら、

それは愛されることにならない、愛したいとも思えない、とすると。

 

 

 

愛とは。

 

 

 

愛というのは、どんどん自分を磨いていくことなんだよ。

尾崎豊

 

 

他者の存在が絶対的に必要とするであろう愛が、

いつまでも相手にとって分からない孤独があるように、

自分自身を磨いていくこと、それが愛、なんというエゴイスト、最強の道筋。

 

 

3度目のオリンピック、

年を追うごとに成長する福原愛選手。

 

愛選手を誰かが評したような、

歳月を減れば減るほど光沢と深みを増す、漆塗りのようだ。

とはよく言ったものだ。

 

団体銅メダル、おめでとうございます!