黒五八白の捨て猫たち

答えのその先、深淵に入り込んだ言の葉達を、見境もなく捨てていきます。問うとすれば、それは人の探究心だけ。

【ガリヴァー旅行記】異業種に転職をしてみて分かった0.3以下の事

地平の果て、海の水平にまだ見ぬ新たな地平を目指す船乗りの渇望のように、今日もまた社会という荒波の中で進むカリヴァー旅行記は続いています。たとえそれが命知らずの航海であったとしても、その選択がどうったのかは、その先にある闇か光を見たいという欲求がそうさせた、ただ当事者のみが知ることであります。

 

人生というよくも分からない持続の中で生きて行く上で、付け加えていったものよりも、そぎ落とされて残ったものが自信になると信じた結果、それはこのブログのサブタイトルのような探究心だったわけで、社会という大海原で私は飽くなき好奇心から新たな地上を求めて私は転職を決めたわけでございます。

 

例えば、従業員が全体で1000人近いグループの一企業から、乗組員20人以下の会社ともなるとそれは売上でいってもオフィスでいってもやはり2%程度の小ささで、昔ながらの友人がいるからといっても地元の企業に転職することは一般的に言えば安心よりかなりの不安が付きまといます。

 

が、もはや世界の大陸が一通り描かれて漠然とした将来が見渡せてしまうご時世よりも、もっとミクロで暴力的で何が起こるか分からない未開拓で矮小な世界を、スケールで言えば分子から原子への回帰くらいほど顕微な空間をこの目で見て見たいという湧き出る探究心には逆らえなかったわけでございます。

 

ネットの広告代理店からフットサルコートの集客営業への転職。

 

さてこのような前向きな感情は一般に制御を主体とする理性にも勝る力であり、向こう見ずな挑戦はいわゆる根拠なき何かに支えられて邁進しましたが、実際に転職してみると目の前に繰り広げられる光景は今までとはおおよそまるで変わります。

 

この場で何が大きく変わったかつぶさに説明するのは退屈ですので割愛しますが、今まで用意されていたシステムやツールが悉く無くなる、というか過去を振り返って便利なものは現在では大半が消失しているという事実です。

 

今までの便利。どれだけ自分がオートマチックを享受していたのか、その実感とその裏側にある有難さを感じます。

 

電子より製紙、あれほどフォーマットフォーマットフォーマットと呪文のように唱えられていたフォーマットなるものも殆どなくなり、敢えて言えば営業用の車と交通の自由が与えられ、これまでの東京メトロと山手線を基調とした生活から一変し右折左折と直進、時よりバックを交えながら車で動き回る日々。

 

転職直前は興味75不安25だった気持ちが日を経るごとに興味51不安49まで不安さんが背後までかなり忍び寄っている緊張感、いや危機感がなんとも言えない青春を感じさせてくれます。

 

かような背景の中で、携帯電話で営業し、自転車で近隣のお店に挨拶周りとチラシ置き、サッカーファンの皆様にビラを配り、泥営業をして四月から転職して20日間も過ぎましたが、取りも直さず私はまだ生きています。事実と効率から忌避してもなお、生きてる実感が今ここにあるのは摩訶不思議なことのようです。

 

便利の高度化、分業、細分化すればなるほど、何故便利なのか?どのような仕組みで便利が与えられているのか?便利の源泉がわからず主体的な意思や判断を欠いた便利ツールの奴隷となる現代の実情に比べれば、何一つ便利なことはないこの環境はやらなきゃ将来生きれれない、かは分かりませんがやらなきゃいけないことが勝手にたくさんでてくるしやらないとちょっとやばいかもしれないからやる、みたいな感じサバイバル。

 

ガリヴァー旅行記の著者が幾度とない航海のすえ、小人の国、巨人の国、天空の国など、次々放浪し母国と異端の国との接触により文化、歴史、慣習を自国と比較し紹介することで、嘲笑的とも言える当時代の風刺、人間の根元に潜む諸悪と希望を描いたこの作品に例えれば、転職はある種異国の地であります。

 

異業種に転職してわかったことはただ今まで当たり前だと思っていた、正しいと思っていた既成の枠組みや概念、虚ろな権威ほど使えないものはなく、枠組み0であれば、そもそも仕事に異業種という言葉自体すらも疑わしく、果たして本当に異業種なのか、仕事の源泉を辿れば異業種などどこにもないのではと感じるほど、つまりわかったことなんて一つもありませんでした。

 

転職してよかったとか悪かったとかそういうことはどうでもよく、ただ本当に大事そうだと思えることを宿命的に感じざるを得ない、という意味では転職も一つの旅行のようで、人からみればただの喜劇であり、自分にとってはただのおかしみであるようです。