捨て猫マスカルポーネ

問うとすれば、それは人の探究心だけ。旧来のブログ名を捨てて、2018年は新たな語感と共に改名。重力に負けるな。

【拝啓】折り紙の老舗ダイヨ様へ今更ながら唯想う、ありがとう。折鶴の思い出

今日Yahoo!のニューストップに折り紙の老舗ダイヨが破産した、という記事が一面トップを飾っていた。

 

正直ダイヨという会社にではなく、折り紙、という言葉に僕は反応した。何故なら僕は折り紙が大好きだったから。とはいえ、それはずーっと前の話で、現在30歳を迎えた僕が、都会の喧騒と社会の荒波に揉まれたのを言い訳にすれば、最近で折り紙をしたのは、もう二年以上前のことだと思う。

 

 

記事を少し読んで、ああ見たことある折り紙だと思った。あの金銀紙がプレミア感を出して必ず入っている折り紙だ。他の色がどれくらい重複して入っていたかは忘れたけれども金銀は一枚ずつのレアで勿体なくて最後の方に残る。他の色の折り紙と違って折り目が目立ち易いから下手に折るとゴージャス感よりもかえって残念な仕上がりになってしまう。

 

折り紙に出会ったのは恐らく幼稚園の年長か、小学校の低学年か。そんな25年も付き合ってきた少なくとも経験と記憶の中にあった折り紙を生み出していた老舗メーカーダイヨ様を、今このニュースを見て知ったというのはなんとも遺憾であるが、まだバオバブみたいなお子ちゃまの一顧客であったという時代背景を考えればそれは仕方がないかもしれない。

 

不躾ながら三十路を迎えた今、このタイミングでダイヨ様、ありがとうございます。

 

たった一枚の色の付いた正方形の平面紙から、鶴や菖蒲、蛙、手裏剣やぱっくんちょに至るまで、様々な立体物が創造できる折り紙はやっぱり偉大だと思う。それぞれの手足といったパーツが切り離され、部分が全体を作る模型ではなく紙を折ったり曲げたりして全体を保ちながら、細部に至るまで緻密に表現された一体の構造物を作りあげることができる、そんな折り紙ならではの特徴は、やはり日本的な和を感じるし、幼心にも不思議に魅力的に思えたのであろう。

 

初めて鶴を折った時、とにかく見様見真似で折り方図を見ながら作ったことが懐かしい。少し慣れていると今折っているのは、羽の部分とか、なぜこういう折り方をするのか少し考えるようになったし、完成という目標だったのが、段々とより美しく綺麗に作るにはどうしたら良いかという目標にレベルアップして考えて、折り目の合わせ方や付け方に対して異常にこだわり始める。

 

折り方の模範はあるが決して模範通りが全てではない、折り紙は自由だ。折り曲げ方、強さ、角度、紙だって和紙にすることもあるし、複数の折り紙を組み合わせて作品を作るような手裏剣だってあるし、色も自由だし、ねじるなんていうことだってやっていいし、折り紙を膨らませることだってしたっていい、そんなただ折り紙であるという制限以外に制限はなく、あとは折り手には想像と意識と行動の選択肢が無限に拡がっている。

 

僕が小学生の頃は、少ない友達と折り紙を作って遊んでいた。それから、だんだんと他の人が作る折り紙とは違う折り紙を作りたいと思って、折り紙をどんどん小さなサイズにして、最終的には1辺1センチ以下の折り紙で鶴を作ってみんなや家族に見せびらかせて、手先器用だねと褒められることを自分のアイデンティにした時もあったし、でも次第に周囲からは飽きられて、悲しみに明け暮れた時、教員実習で来てくれた若い女の桃井先生にだけは、自分のひそかな想いを折り紙に託してプレゼントしたりしていた。それも全て折り紙があったからこその青春だった。

 

時を経て社会人に僕はなった。暇を見つけて行く旅行。僕は世界を旅行したことは数少なく、カンボジアや韓国、シンガポール、それからモンゴルくらいしかないが、他の国で折り紙に似たような文化を見たことがない。折り紙は間違いなく、日本の文化、例えば文化とは何といっても分からないが、一枚の紙を見て、一枚の紙しかないのに、そこから無限の可能性を想像し信じ創作するという日本人の心の機微なのかもしれないが、折り紙に日本固有の文化が染み込んでいると信じたい。

 

僕は、海外に旅行すると現地人のお宅に訪問することが多いから、最終日にノートを正方形に切り取って鶴を作って細やかなプレゼントとすることが多かった。外国の方はみんな折り鶴を見てすごく喜んでくれたし、子供達は蛙の折り紙でずっとわしゃわしゃ遊んでくれたし、折り紙があったからこそ僕の世界旅行や社会人の青春に、少なからず一つの色彩を与えくれたと思う。

 

今更ながらですが、ダイヨ様、大與紙工株式会社様、本当にありがとうございます。